CQ LAB 違いに橋をかけ、違いをパワーにする

ホフステード博士との関わり

ヘールト・ホフステード先生へ
追悼文

ヘールト・ホフステード先生は、2020年2月12日、世界がパンデミックに突入しようとしている時、92歳で天に召されました。ご家族に囲まれ、平和のうちに旅立たれたと伺いました。私達の本は、先生が直接序文と対話を寄せた、最後の本となりました。不確実性に満ち、二極化が進む世界の中で、違いで分断されるのではなく、違いに橋をかけ協働する社会の実現を願って誕生した「ホフステードモデル」を、日本の方々に手軽に使っていただきたいという願いを込めて書いたこの本が、こうして版を重ねられたことに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

先生が世に問うた、国の文化の違いを次元モデルで数値化する手法は、当初物議を醸し出すもので、最初の著作Culture’s Consequences は様々な編集者から計16回拒否された後、1980年にようやく出版されました。その後先生のお仕事は、学術論文の引用数ではマルクスやフロイトに次いでもっとも多い、社会科学での国際的スタンダードとなりました。

“先生は文化人類学から社会学、経済学から政治学まで、鳥瞰的な視点であらゆる事象を捉え、関連付けて分析する知の巨人でした。元々は工科大学出身のエンジニアで、工場の現場で働くうちに、生産工程の背後ある、社会と人間の営みに関心が向いたそうです。行動社会科学の博士号を最優秀成績者として取得したのち、IBMに入社。人事リサーチ部門のヘッドとして従業員満足度調査を担当。スプレッドシートも統計ソフトウェアも存在しない時代に、116,000人分のデータを分析。データに1番大きな違いがあるのは、性別でも年代でも職種でも、「国と国の差」であることに気づき、そこから先生の文化とのジャーニーが始まりました。先生は、「全てはセレンディピティだった」と仰っていましたが、その功績は、数え切れない人々に影響を与えました。生涯に11 の名誉博士号と、オランダ最古で最も栄誉ある民間人の勲章Order of the Netherlands Lion, を授与されています。

筆者は、晩年のホフステード先生から直接教えを被る幸運に恵まれました。あれほどの業績を残された方なのに、常に謙虚に学び続け、人との対話を大切にされ、真の優しさを持った方でした。初めてお会いした瞬間から、ウィットのあるユーモアにあふれたお人柄に魅了されました。ときにお電話で、ときにビデオ会議で、そしてご自宅をお訪ねする時には用意してくださった美味しいケーキとお茶を前に、私達のどんな質問にも真摯に答え、対話を重ねてくださいました。帰りは歌を歌いながら、自動車で最寄り駅まで送ってくださる。なんと恵まれた日々だったことでしょう。先生はただただ、異なる価値観を持ったもの同士が理解し合えるために何ができるかを真剣に考え続けることの、その忍耐、方法、そしてその素晴らしさを伝えてくださいました。

先生はお会いするたびに、自分の研究を、人々が相互理解を深めより良い世界を創るために使ってほしいとおっしゃっていました。パンデミックは、直接の出会いを制限しましたが、オンラインという新たな可能性を広げ、本書を手にとってくださる方や、読書会・勉強会も国境を超えて何度も開催されました。多様性という言葉が使われるずっと前、1980年から「人類がサバイバルするかどうかは、違う考えを持つひとと協働する力を持つかどうかにかかっている」と書かれたホフステード先生は、天国からこの状況を見て微笑んでおられるのではないかと思います。

先生のそのスピリットと心を少しでも受け継ぎ、パンデミックと、橋をかけていくことを続けたいと、限られた力しかありませんが、心から思います。

宮森千嘉子 & 宮林隆吉

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