「そんな美しい方とは言わない」発言をCQ(文化の知性)で見つめる その①

「俺たちから見てても、このおばさんやるねえと思った」
「そんな美しい方とは言わない」

与党の副総裁が講演で、外相の容姿に言及したことが波紋を広げている。

私も「おばさん」世代として、発言に対して心がざわつき、様々な感情が沸き上がった1人であるが、この対立構造から抜け出して互いに共創する道を歩めないか、CQを使ってそのヒントを考えてみたいと思った。

「おばさん」が見た、今起きていること

発言をめぐる一部始終を見ながら、私は「日本、相変わらずだなぁ…」と妙に納得してしまった。その背景は2つある。

まず1つ目はなかなか改善しないこの国の(特に政治分野の)ジェンダー不平等の状況。そしてギャップが引き起こす普遍的な現象である。
2つ目は糾弾「する側」と「される側」が感情的に対立する構造だ。

まずは今起きていることを整理してみたいと思う。

 

日本のジェンダーをめぐる状況

最初にはっきり言っておくと、日本はジェンダー平等後進国だ。(以前のブログ「同化からインクルージョンへ:女性活躍後進国 日本の可能性をCQで解き放つ!」を読んでいただきたい)
日本の2023年ジェンダ―ギャップ指数は世界146か国中125位。「教育」と「健康」の分野では世界トップクラスの優等生である一方で、「政治参画」と「経済参画」の分野が非常に低いのが特徴だ。

今回はこの政治分野のギャップの大きさを背景に、マジョリティとマイノリティをめぐる「ありがちな」現象が起きたといえる。
(ここでいうマジョリティ(多数派)・マイノリティ(少数派)という言葉は、単に数の問題ではなく、前者がより強い発言権を持ち有意な立場にあるということ)

 

マイノリティ性を表す「有徴」の言葉

「女医」「ワーキングマザー」「リケジョ」「xx女子」…。
見渡すと世の中は女性であることをわざわざ表す言葉で溢れている。

これは男性医師、働く父親、理系男子生徒など前提とされる主流の人たち(マークをつける必要がないので「無徴」)に対して、その文脈でマイノリティである女性を「マークをつけて」強調する言葉で、「有徴化」と呼ばれる。
「このおばさんやるねぇ」の「おばさん」は、まさに政治の世界では(高齢)男性がマジョリティであることを示唆する有徴化といえる。

有徴化はあちこちに存在する。
たとえば女性がマジョリティである職業・文脈においては、「男性看護師」「イクメン」など男性が「有徴化」する場合もある。

有徴化はジェンダーに限ったことではない。
「若手政治家」という言葉の存在は政治の世界での若い世代のマイノリティ性を示しているし、「外国人選手」「ハーフタレント」など気づけば日常的に使っていることに気付く。
私たちはどうやら「違う」ことを強調したがる心の動きを持っているようだ。

 

マジョリティによる「自覚なき差別」

マジョリティにとっては自分が元から持っている(有意な)立場性があまりに当然なので、それ自体を意識したり、それを持たないマイノリティの経験に自分を当てはめてみることが難しい。

私は子育てをするようになって初めて世の中が物理的・心理的な障壁に溢れていることに気付いた。街は階段だらけで、ちょっとした段差でも重いベビーカーを持ち上るのは大変だった。泣き叫ぶ子どもと荷物と折りたたんだベビーカーを持って混雑するバスに乗るときの、周りの迷惑そうな眼差しや、そこで感じる申し訳なさ。

そういった障壁はマイノリティからはよく見えるが、マジョリティからは見えにくい。マジョリティは自分の優位性に気づくのが難しいがゆえに、マイノリティに対して自覚なき差別(マイクロアグレッション)を行ってしまうことがある。

私の娘はカナダ留学中にクラスメイト(白人の男子学生)に「僕は人種差別主義者ではないよ。なぜなら(アジア人である)君と友達だからね」と悪意なく言われて、心がモヤモヤしたという経験を話してくれた。おそらく「よかれと思って」の発言だろうが、私たちはつくづく自分の優位性に気付くは難しい。

私たちが社会の障壁をなくすためには、単にマイノリティに声をあげる責任を押し付けるだけでなく、マジョリティ自身がその「構造」に気づいて互いに耳を傾け合いながら、一緒により良いシステムを作り上げることが大切だと感じた。

 

なぜか「美」が女性の形容詞に…ルッキズムに気付く

さて、くだんの発言に戻ろう。
今回のケースは「そんな美しい方とは言わない」という発言も「ルッキズム」として大きな批判を受けた。

ルッキズムとは「外見至上主義」などと訳される。「見た目で人を判断したり、容姿を理由に差別したりすること」。

「美しすぎる市議」「美人女優」「美魔女」「美少女戦士xx」

世の中を見渡してみると、政治の世界に限らず女性を容姿で形容することが多いことに気づく。検索サイトで「美人」と検索すると4億8千件ヒットする。
「美人」はもちろん女性が前提になった言葉である。(ちなみにこの数は「美男」の13倍、「イケメン」の2.5倍)世の中には女性と容姿を関連づける言葉で溢れているといえる。

国内外でルッキズムを見直そうという動きが広がっている。
たとえば大学の「ミスコン」を廃止したり、多様な身体性や年齢のモデルを起用したり、履歴書の写真欄の削除しようとする動きなどだ。残念ながら、くだんの政治家の感受性はこういった世の中の意識の変化に追いついていなかったようだ。

ここまで、日本のジェンダーをめぐる状況を「おばさん」の目からざっと整理してみた。次回はCQのナレッジのコアである、ホフステードの文化次元モデルを使って、起きている現象を分析したいと思う。

 

CQラボ
田代礼子

 

一般社団法人CQラボは、ホフステードCWQの日本オフィシャルパートナーとして、カルチャーに関してトータルな学びを提供しています。CQ®(Cultural Intelligence)とは…「様々な文化的背景の中で、効果的に協働し成果を出す力」のこと。CQは21世紀を生き抜く本質的なスキルです。Googleやスターバックス、コカコーラ、米軍、ハーバード大学、英国のNHS(​​​​国民保険サービス)など、世界のトップ企業や政府/教育機関がCQ研修を取り入れ、活用されています。

こちらからCQラボ代表理事 宮森千嘉子の異文化理解についての講座を1週間無料で視聴できます。
1分でわかる「CQ異文化理解」動画はこちら